試される大地から

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【反出生主義】責任ある大人ならば、子供を生まないことだ

今日は、このブログで再三取り上げてきている反出生主義について書いていこうと思う。

まず、僕なりにこの世の本質を手短に表すとするならば、『過当競争・不条理・ネズミ講』である。

『過当競争・不条理』という点については、反出生主義に同調しない人であっても、それほど異論はないのではないかと思う。

この世はいらぬ競争を強いられすぎるし、不条理かつ胸糞の悪くなるような良くない出来事が多すぎる。学歴競争や出世競争は一向に無くなる気配がなく、努力に見合わないほど少ない利益のために不毛な消耗戦が日々繰り広げられている。

出生とは、人をネズミ講に引きずり込むのと同じ

ネズミ講という言葉を出したのはやや違和感を覚えたかも知れない。なぜネズミ講なのかと言うと、資本主義も国家システムも基本的にはネズミ講、すなわち人口拡大が前提になっているからだ。

現代の反映を築いた資本主義型システムであるが、このシステムが維持される前提として、人口の恒久的の拡大が必要なのである。現に、人口はここ200年を見ても一貫して拡大してきている。

資本主義とは皆が豊かになるための制度というよりは人口をレバレッジにしていかに富を拡大するかというものであり、労働しモノを消費する人間を永遠に増加させることが必要となる。つまり、大部分の人間が必ず奴隷的待遇に甘んじなければならない制度なのである。

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資本主義も社会保障も基本的に先駆者が圧倒的優位である。日本に限らず、どこの世界でも人間の立てる見通しというのは得てして甘いものだ。

制度ができた当初にあっては皆に得することができるのがだが、あとになればなるほどシステムの綻びが出て損をすることになる。浪費したツケは将来世代に回ってくる。

子供を作ることこそが『社会を守る』『未来をつなぐ』『将来のため』と言えば聞こえはいいが、どうということはない。子供が生まれる・生まれないの議論はいかに自分たちが得をして、生きている間にツケを払わずに逃げ切るかというだけのことを綺麗事でコーティングしているだけのお為ごかしだ。こんなものは将来世代のためでも何でも無い。

医療や年金にしてもそうだ。後になればなるほど貰いは少なく、払いは増える。つまり、ネズミ講の問題点がそのまま当てはまるのである。

皆が苦しんでいるのに、社会を維持させる意義はあるのか

周囲の人たちを見回してみて、あなたはどう思うだろう。日々が充実して楽しく生きている人たちで溢れているだろうか。

おそらくそんな人はほとんどおらず、時折諦めたような表情を浮かべるか、無表情か、はたまたしょっちゅうしかめっ面をしながら生きている人が多いのではないだろうか。

ささやかな楽しみといえば通勤電車のなかで、下を向いていじるスマホくらいという人たちばかりだ。

混雑する駅のホーム|無料の写真素材はフリー素材のぱくたそより

『子供を作るべきではない』というのが反出生主義のスタンスであるが、これに対する反論として『子供を生まなければどうやって社会を維持するのか』という意見が上がってくることがある。

でも、まず考えてみてほしいのだ。そもそもこの世は、あるいはこの社会は未来永劫維持しなければならないほどの価値があるだろうか。

矛盾と苦痛に溢れた今の社会を無理やり維持することは、真に生産的な行為と言えるだろうか。そもそも同じ社会がいつまでも存続しなければならない理由とは何だろうか。これらの問いに明確に答えられる人間がこの世にどれだけいるだろうか?

子供を作ることは生産的行為の筆頭のように言われるが、むしろ苦痛を味わう人間を増やしているという意味で子供に対する非直接的な拷問ではないだろうか。

子供を生まなければ、今の現役世代が老人になったときに苦労をすると言う人もいる。でも出生を肯定し、現状のシステムを維持し続ければ苦痛を受ける人間が生まれてくることは防げない。

人道的な態度を追求する人間であれば子供を生まないのが最善だと、気づけるはずだ。

子供を生んだ責任を取るとは、子供が死ぬときに「生まれてきてよかった」と思わせられること

端的に言おう。これは不可能である。なぜならば親はいくら努力しようとも、子供の人生に降りかかる不確定要素を排除できないからだ。

だから、子供自身がこの世に生まれてきてよかったと思えるかどうかはすべて運次第、とてつもなく低い可能性しかないのである。これがいかに分の悪い賭けであるか、誰もが分かっているはずだ。

どんなに親が手を尽くしても子供が長い人生のなかで疲れ果て、『生まれてくるんじゃなかった』と思わせてしまったらもうダメなのである。

人生はしんどい時もあるなどという言葉で誤魔化すのはもう止めにすべきではないだろうか。良いことと悪い事の比率が1:1だとか言うのならば悪いことも多少はポジティブに捉えられるかも知れない。

でも、この世はあまりにも悪いことばかり起きすぎる。幸福は一瞬、苦痛は一生なのだ

子供のことを思って、子供を生む親はいない

子供を生む親が子供を生んで一瞬だけでも、幸せになれた代償として、子供はその先の何十年も辛く苦しいことだらけの人生を歩み続けなければならない。

出生とはまさに一生負わなければならない十字架のようなもので、親の出生の代償は、生まれた子供の苦しみで贖われなければならない。

本当に人間としてまっとうな心をもつのならば、決して安易に子供を作ってはならない。そして、子供を生んだ親たちは、20年そこらだけ面倒をみただけで子供を生んだ責任を取ったなどとは決して考えてはならない。

生まれてくる子供自身の幸せを考えて、子供を作る親はこの世に存在しないのである

最後に、以下の格言でこの記事を締めくくる。

人生とは裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ちの連続にほかならない。(ショーペンハウアー)

反出生主義の名言より

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