試される大地から

プログラミングのTipsや人生論、英語学習の話題など綴っていきます。

【社畜論】『成長したね』という言葉は『社畜として洗脳・調教済み』ということ

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創○学会の勧誘漫画の一コマ。

会社の従業員である限り、仕事を通じて『成長』していくことが求められる。性格を変えろ、考え方を変えろ、話し方を変えろ、習慣を変えろ・・・。このように事あるごとに改善しろ、成長しろとは言われるが、従業員が自らの才能を発揮し、独自の力を伸ばしていくことが求められているわけではない。

会社の誰かのために自分を変えるなんてバカバカしい

僕は違和感があるのだが、会社で『よくない部分を変えろ』と言われるのは嫌だ。自分の人格が否定されているような気がするし、癪にさわる。たかが仕事くらいでいちいち自分を変える必要などあるのか。良くない部分一切を変えたとして、変えた先に残るものは単なる社畜精神ではないのか。完璧な社畜になったとしても、十分な報酬があるわけではあるまい。

人の本質は変えられない

人の生まれ持った性質や性格は変わらないと僕は思っている。性格を決めるDNAを変えられないのだから当然である。とはいえ、人によっては仕事中に指導されていくうちに、『変われた、成長できた』という人もいるかも知れない。でもそれは本当に成長と呼べるだろうか。

僕に言わせればそんなものは洗脳でしかなく、成長できたというのもただの錯覚に過ぎない。洗脳で性格の一部分がマスキングされて(ときには歪められて)、他人からの見え方が多少変わったというだけなのだ。自身の本質までもが変わったわけではない。

所詮、会社や上司が都合よく使いやすい人間に変われと強要されているだけに過ぎない。会社からの指導・教育というのは、社畜としての調教である。『成長したね』と社内の誰かから褒められるのはまさに社畜としての調教が順調に進んでいることの証拠なのだ。

会社は所詮カネのためでしかない

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会社にいるのは、所詮カネのためだ。それ以上でもそれ以下でもない。誰がクソつまらない仕事を、毎朝電車に乗ってまでやりたいというのか。

労働力を提供する対価として金をもらっているのだし、それ以上のものを期待してはいけない。特別な才能やコネに恵まれた人間ならいざしらず、凡人がどれだけ夢や目標を高く持とうと、会社がそれを叶えてくれる可能性は限りなく低い。やりたいことは大抵の場合やらせてもらえないし、給料も出世もたいていは期待はずれに終わる。

『金だけのために働くのではない』という綺麗事をいう人間もいるが、世の中の仕事はカネがもらえないならやる価値のない仕事が大多数である。

参考記事

kaisha-ikitakunai.hatenablog.com