試される大地から

プログラミングのTipsや人生論、英語学習の話題など綴っていきます。

減点主義はクソ喰らえ。ミスしないだけの人間など無価値だ

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僕が日本の中で最も嫌いなことの一つ、それは『減点主義』である。減点主義は日常のあらゆるところに顔を出す。

禁止事項を際限なく増やし、それを守るのが正しいという勘違い

世の中、禁止事項こそがルールなのだと信じて疑わない日本人だらけだ。もっとも極端な例は禁止事項全てを並べた公園の看板である。海外のネットユーザーからは、『できることを列挙したほうがまだ早い』とまで皮肉られてしまった画像である。

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他にも、子供のしつけを例に取ってみると、母親はいつも『危ないからそっちに言っちゃダメ』『汚いから触っちゃダメ』などと言う。『〇〇をしてはダメ』という否定形で子供に接するのが常態化しているのである。子育てのイライラのためか、子供の行動に常にダメ出しをしている。人前で褒められる子供を見るケースは本当に少ない。

あれはダメ、これもダメというのは誰でも簡単にできる。禁止事項を増やすのは、人の行動を管理する上で最もラクなやり方である。しかし、僕に言わせればこのやり方は下の下である。なぜならば、これは個性や才能をもった人間を潰し、人を無気力に陥れ、『みんなと同じ』無個性な人間を量産するやり方だからである。

幼少期・小中の義務教育期間は驚くほど、禁止事項の雨あられである。そしてこれは義務教育に限った話ではなく、下手をすれば高校・大学・社会と続いていくことだってある。些細な禁止事項をつくっては、それを守らないというだけでネチネチと怒られるのが日本社会の現状なのである。

大した取り柄はなくとも、ミスをしないのが『いい子』と言われる日本

小中学校時代を思い出してほしいのだが、いい子と言われ教師から好かれるのは必ずしも成績優秀な子供ではなく、言いつけをよく守り忘れ物や間違いをあまりしない、時には綺麗事だらけの読書感想文を出すような子供ではなかっただろうか。大抵それは良い子ちゃんな女子だったはずだ。

こういう子供は、親や教師にしてみれば最も手がかからないので『いい子』『素直な子』と言われることが多いだろうと思う。一見良いことのように思えるが、こうしたミスしないことを過度に重視するせいで、凡才が必要以上に優遇され、逆に才能をもった子供が潰されている可能性がある。

特異な才能を持った子供は、癖や個性が強く、周囲の大人から疎まれがちだ。こうした人間を問題児と見なして冷遇すると、次第に自信を失い、才能を発揮する気力を失ってしまう恐れがある。型にはめようとすればするほど、個性の強い人間は自分を押し殺さなければならないのだ。極端なまでの減点主義が、日本人の精神の発達に暗い影を落としているのである。

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ドラゴン桜』の一コマ。入試以外での減点主義はロクな結果にならない

多少ミスしても開き直るくらいでちょうどいい

日本では、良い成果があることよりも、欠点の無いことのほうが重視される。加点がないから、いつも減点に怯えなければならない。僕に言わせると、多少ミスしても別に大した問題ではない。むしろミスしないことだけが売りの、無個性人間の方が大問題だ。

別に誰かから多少怒られたとしても、あなたの価値が減じるわけではない。ちょっと忘れ物をしたとか、少し時間に遅れたとかはっきり言って大したことではないし、他人から大声で怒鳴られなきゃいけないほどのことでもない。いつも他人の顔色を伺い、自信なさげにしているよりは、『自分はこういう人間だから仕方ない』と開き直るくらいのほうが精神衛生上よほどマシである。

僕なんかは、学校でも家でも、よく誰かしらから怒られていた。勉強はよくできたが、忘れ物することも度々、遅刻寸前で教室に駆け込むことはしょっちゅうだった。人の話を上の空で空想にふけっては、人の話を聞きなさいといつも言われ続けていた。

でも、どれだけ怒られてもそんなに反省はしていなかったと思う。『わざとじゃないんだから仕方ないじゃん、そんなに怒るほどでもないでしょ』と開き直ったまま、反省したフリだけしていた。今もこの点はあまり変わっていないし、自分が間違っているとも思わない。

減点主義は人から自己肯定感を奪い、事なかれ主義を蔓延させる

世の中には、誰かしらから何かと否定形の言葉を投げかけられ続けるので、きっと自己肯定感をなくしている人も多いだろうと思う。常に先生とか上司から怒られないように、咎められないように、物事を無難にこなすことにかかりきりで、内心ビクビクしているんじゃないかと思う。

日本の子供は国際的なアンケート調査でも他国より自己肯定感が低いことが明らかになっている。これは、減点主義とは決して無縁のものではないと思う。なぜ、自分に自信が持てないのか?それは評価軸を自分自身ではなく、『他人と同じであること』や『ミスしないこと、怒られないこと』に置いているからだ。

『ミスをしない』『他人と同じ』『誰かの言いつけを守る』。これらを価値基準に置くことは、自分自身を否定し続けることである。ミスすることを必要以上に恐れ、他人と違う自分を責める。他人と同じでないと安心できないから、いつも周りと違っていないか不安に苛まれるのである。

減点主義とはミスをしなければしないほど評価が高くなるということでもある。つまり新しい事柄を始めたり、組織の改革に取り組むなど、失敗のリスクの高い行動はしないほうがいいことになる。いわゆる事なかれ主義である。新しいことに取り組まないということは、イノベーションが起きないということである。日本が世界的に競争力を失い続けているのは、まさに減点主義の産物なのである。

減点主義は、最悪の場合不正行為の温床にもなる。以前世間を騒がせた、ウエスチングハウス買収に伴う東芝損失隠し問題の本質とは、結局は社内・社外からの責任追及を恐れた経営陣がなるだけ経営失敗による損失を少なく見せようとしてのものだった。

東芝のような古い体質の企業で経営陣に食い込もうと思えば、常に主導権争いの中で勝ち続け、大きな失点をすることは許されない。結局のところ、減点主義のペナルティーを逃れるための責任逃れだったのである。

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不正発覚後、東芝社長を務めた室町正志氏(現在は特別顧問)

(※画像はニューズウィーク記事より)

人を育てるには加点主義であるべきだ

本当に人を大きく育てたいなら、加点主義である必要がある。できない部分を咎めるよりも、できた部分や良い部分を褒めるのである。欠点のない人間などいないし、人は自分のできることをやるほうがやる気が出るものである。

今でこそ日本は減点主義が蔓延した閉塞的な社会だが、現在よりも寛容でオープンだった時代も存在する。それは終戦直後である。GHQによりあらゆる既得権が排除され、財閥は解体され、有名企業の役職者や上層部がいなくなった。戦前の硬直した経済体制が一掃され、若手やベンチャー企業が出てくる土壌が生まれたのである。

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井深大氏の画像

例えば、ソニーの創業者である、故・井深大氏は従業員に大して『creative failure(創造的失敗)を、恐れるな。』『他の人が既にやってしまったことは、やらないこと。』として、新しいことに取り組むことを求めた。これは減点主義の思考では絶対にありえないことで、新しいものを生み出すことを評価する加点主義なのである。結果、ベンチャー企業だったソニーは多くの人材を育て、数々のヒット商品を連発し、今や多数の従業員を抱える一大企業になった。

加点主義のほうが、減点主義よりもよほど健全だとは思わないだろうか。