試される大地から

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指示待ちに『仕事は自分で見つけるもの』とかドヤ顔で言う奴らを片っ端からぶん殴りたい

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『仕事は自分で見つけるものだ』とか『指示待ち人間になるな』と言う言葉はよく聞かれるけれども、間違っていると僕は思う。これを下っ端が言うなら、それは立派に洗脳された社畜であり、あるいは会社の上層部やマネージャーレベルの人間が言うのなら、それは保身や言い訳に走る老害である。

なぜ会社に雇われている立場でありながら、自ら仕事を見つけろなどと言われる必要があるのだろうか。そして、なぜ指示待ちの状況が起こってしまうのだろうか?

理由1 : 会社とマネージャーが無能だから

下っ端の職務は、明確に与えられた仕事や役割をこなすことである。そして、仕事の割り振りや人員の配置を考え、部課がうまく回るようにするのは他ならないマネージャーの仕事である。『仕事は自分で見つけるもの』などというマネージャーは自身の職責を果たさずに部下に責任を押し付けているだけの無能である。この手の連中はなぜ末端の人間よりも恵まれた待遇を得ているのかまったく理解できていない。

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本当に仕事を自分で見つけてほしいのであれば、はじめからそれ相応の権限と待遇を用意して、自分で仕事を見つけるように明確に伝えるべきではないだろうか。そして、入社時の契約書にその旨をはっきり明示すべきである。それがあるべき労使関係というものである。マネージャーが高い給与を得られるのは、負う職責の大きさによるものであって、勤続年数の長さに対するご褒美ではない。

ろくな権限もなく、社内情報へのアクセスもマネージャーよりもずっと制限されている下っ端の立場で、本当にやるべき仕事をそうそう簡単に見つけられるはずもない。その程度の想像力もなく『仕事は自分で見つけるもの』などと平気でのたまう阿呆が日本にはたくさんいる。末端の人間に経営者視点()とか意識改革を強要する前に、マネージャーや会社こそが変わるべきである。

理由2 : 自分なりに仕事や提案をしてみても評価されないから

もしいろいろ提案してみても、社内の標準的なやり方と違うとか、そんなものは必要ないとか、権限がないから無理とか事あるごとに言われ続けたら疲れてしまう。こうしたことを繰り返すうちに若手は自分で仕事を見つけるということをしなくなり、一人の立派な無気力サラリーマンが出来上がる。これが『学習性無力感』というものである。

権限や立場に縛られていては本当の創造性の発揮はあり得ない。結局のところ、社内に何年、何十年といて、組織の力学を理解して、縦割り組織の中で自らの権限を逸脱しない範囲(!)でオリジナリティを発揮する人間が評価されるのである。はっきり言ってそんなところから出てくるものは総じてゴミである。

それに、結局は会社の想定する仕事のやり方でなければ怒られる可能性だってある。偉い人たちの『そんなの自分で考えろ!』と『言わなきゃわからないのか!』のダブルスタンダードにいつも末端の人間は苦しめられることになる。

自分で仕事をやってみても評価されない、下手したら怒られるかも知れない、それでいて得られるメリットは限りなく少ない・・・つまり、極力無用なリスクを避けた方が圧倒的に得ということになる。こんな状況では『指示待ち』にならざるを得ないのは言うまでもないことである。

理由3 : 会社の言う職務内容の定義が曖昧だから

欧米のように、雇用時のジョブディスクリプション(職務内容書)もなく、採用時の仕事内容の説明もきわめて曖昧なのに、自分の具体的な職務内容がわかるはずがない。本当に自分で考えてやったら何かと権限の壁にぶつかって身動きがとれないだけでなく、怒られる可能性を増やすだけである。

職務内容が明確に決まっていれば、採用されてもやる仕事がないということはなく、会社にしても無闇に人を採用する必要はないのである。日本では職務範囲が曖昧なので、とりあえず採用してみて結局人が余るという状況が起こりうる。そして、人を余らせているのは紛れもなく会社の責任なのだが、なぜか日本では末端の人間の努力不足が原因であるかのごとく責任転嫁されるのである。

仕事をやってもらうために人を雇っているんだから、仕事を与えるべきである。仕事がないならそもそも雇うべきでない。何のために人を雇っているのか全く分かっていない会社が多すぎる。

例えば、この記事なんか酷いものだ。

自分から仕事を見つける対策は、まず「仕事は自分から見つける物」であることと、意識を変えることから始めて下さい。待ちの姿勢では、なかなか仕事は出てきません。自分から仕事を見つける姿勢を持って、業務にあたりましょう。 繰り返しになりますが、「清掃作業・事務処理」は社内にいくらでも転がっているはずですよ。

確かに清掃作業くらい社内にいくらでも転がっているだろうが、契約で明示されていない仕事を当然やるべき仕事のように言うのは見当違いの話だ。入社時の契約で、清掃作業が業務内容として明示されているなら問題ないが、殆どの場合はそうではないはずだ。

それに清掃作業をいくら進んでやってみても何のキャリアにもならない上、『面倒な清掃はあの人にやらせておけばいい』という空気が出来上がるのがオチだろう。キャリアにつながらなければ転職はできず、給与UPも望めない。仕事がない人間・社内失業に悩む人間側に、上から目線で意識改革を迫る記事は読んでいて心底腹が立つ。

やってもやらなくてもいい仕事なら、別にやる必要はない。そんなものを探し回るくらいなら、開き直って勉強・副業なりやった方がよっぽど将来の役に立つ。

最後に : 本当に自分で仕事を見つけられるのなら、そもそも日本の会社で働く必要がない

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自分で自分の仕事を見つけるということは決して簡単なことではないと僕は思っている。そして、それをわざわざ会社という組織に縛られて会社員という不自由な立場でやる必要もないのだ。

本当に自分で仕事を見つけられる人ならビジネスの一つや二つくらい自力で見つけられるはずだし、もっと待遇のいい外資系に転職するなり、起業するなり、会社を辞めて自分のビジネスで食べていくなりした方が自由度はずっと高くなる。僕は自分で仕事を取れる人間と思っているので、いつまでも日本の会社にしがみついて、仕事を与えてもらう立場に甘んじる必要はないと思っている。

僕は大学院を出てからすでに転職を経験しており、会社を移ってみて思うことは、どの会社にいても日本国内にいる限り何も報われないだろうなということだ。将来的には会社を辞め、フリーランスになるか海外に移住することを検討している。慈善事業で仕事をやっているのではないし、給料が上がらない、キャリアにもならない、仕事がつまらないではやっていられないからだ。

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結局、会社に雇われているということは、他人の作った神輿を担いで引き立て役を演じているようなもので、リプレース可能な部品(人材)、One of themでしかない。人不足で最近はあまり言われなくなってきているが、『辞めても代わりはいくらでもいる』というフレーズはいかに会社が労働者を舐め腐っているかの証左である。自分の存在そのものが極度に矮小化されている状態なのだ。こんな状態で自分のやった仕事が報われることはあり得ない。

仕事が報われるということは、自分の居場所があり、自分の仕事や意見を認めてもらい、良い報酬が得られるということだ。ほとんどの日本企業にはどれもない。

日本の会社に縛られている限り本当の幸せはないのだ、と思っている。